侍から落ち武者へ

なにを隠そう私は広島県出身です。
小学生の頃は8月6日になると全校登校日で8時15分には全員がNHKの画面から流れる
平和公園に向かって黙祷を捧げたものです。因みにこの行事は日本全国で行われているものだと信じて疑わなかった私は、大学のサークルの合宿で
「そういえば、この時期に登校日でめんどくさかったよな」
なる発言をして、一人だけ浮いていました。なぜか翌日から私のあだ名がピカドンになっていた・・・・・・。
そんな感じで(どんな?)私は人生の半分以上を広島県で過ごしてきました。
勿論、年間中継率8割を超える広島カープの大ファンであり、サンフレッチェ広島のサポーターでもあります。しかし、しかし、広島の球団というのはお金が無い事で有名。
あの江藤が年俸を上げて下さいと言ったところ、「東京と広島では物価が違う!」と見事に
相手にされず、そのまま帰らぬ人となりました。
金本に至っては「星野さんを男にさせる」と当時の山本監督の立場を考えない言動を残し
男星野を頼りに文字どうりアニキになってしまいました。
まあ、一部のファンはどうか知りませんけど私は結構自分の好きだった選手はよそに行っても応援したりなんかする訳です。
マリノスに行った久保なんかも、広島時代は飲酒運転で事故ったりヤンチャ振りを発揮してましたが、それも過去の懐かしい思い出です。
奴の野性味溢れるプレー振りは、アフリカ選手のようでいて、奴の風貌はバカボンを実写化した時にはドロボー役で呼ばれるのではないかという見事な髭をしております。天才バカボン (小学館文庫―赤塚不二夫名作選)

さてさて、そんなドロボー髭もジーコの選考から漏れてしまいました。その代わりに入ったのが巻でした。これは賢明なジーコの判断だと思います。
やはり久保は貪欲さみたいな所に欠けていたかな?と思いますし、最近の調子で行けば巻が選ばれて当然だと思います。でも、やっぱり広島時代の久保を知っている私としてはトルシエ時代にひょっとして、ジーコになって確実だと思っていただけに残念です。
まあ、久保は悔しがる事が大切だと思いますので次回のワールドカップに向け浪人生活を送って頑張って欲しいです。
俺は、他のチームに行った今でもお前の事を応援してるぞ!!!!

(同じく落選の佐藤の事は折に触れ書かせて頂きたいと思います。・・・・・忘れてた)

徒然なるままに日記と言うものを始める。

えーっと今日から日記をはじめます。
今までブログというものに興味が無かったのですが、なんとなく始めて見ようかなと思ったのです。
今日は、自分の趣味について書こうと思います。
私は小学校の5年生からサッカーを始めました。
理由は簡単、女の子にもてそうだというありきたりのマセガキ根性です。
それまでも色々習い事をしていました。
例えば習字、これは登校斑の友達がやっているからと言う理由。小3から始めて小6まで習いました。一応5段という段位をもらいまして、最近まで自慢してたのですがどうやらその塾の中での段位のようで正式なものではないようです。
他にはピアノ。これは妹が一つ下にいるのですが、親バカ親父が妹にピアノを買ってやったんが悔しくて「俺もやる。」と強引にピアノ教室に通ったのですが、両手和音というかなりの高騰テクニックを要求され、志半ばにして挫折しました。
それから、陸上教室。これは1ヶ月皆勤賞だとお菓子をくれるという特典があったため3ヶ月通いマラソンが始まる前に挫折しました。
それからやっとサッカーです。私がサッカーを始めた頃は「マラドーナ」と言うサッカーをしらない女性からしたらセクハラとしか言いようの無い、超スーパースターの全盛期でした。時を同じくして週間少年ジャンプでキャプテン翼が始まるのです。

キャプテン翼 1 (集英社文庫(コミック版))

キャプテン翼 1 (集英社文庫(コミック版))

このキャプテン翼にはかなり苦い思い出があります。
翼くんの18番オーバーヘッドキックですが、これを中1の時にクラブ活動中に練習をしようという仲間内からの提案でした。
私は、そんなに運動神経の良い方では無かったのですが、友達の「出来んの?だせー」の声に反発して挑戦した所、見事に腕の骨を3本も折る重傷を負い入学してから1ヶ月間入院生活を送る羽目になったのです。

まあ、そんなこんなで大学を卒業するまでサッカーを続けていました。
大学中には2回のワールドカップを見るという滅多に無い快挙を経験し、マイアミの奇跡では留年の架かった大事な授業と川口のスーパーセーブのどちらを選ぶかの究極の選択に迷わずサッカーに噛り付いた大馬鹿者です。

ですから、ヨーロッパでワールドカップ期間中は病欠が増えると言った社会事情もよく理解できるのです。

2002年の時は弟の嫁が事故で死にました。今年は妹の旦那あたりが死にそうな予感がします。喪服も新しく新調したのでいつ訃報があっても大丈夫です。

そういうわけですので、皆さんも会社の中で同じ日に葬式が重なるといった事がありませんようにくれぐれも注意しましょう。