徒然なるままに日記と言うものを始める。

えーっと今日から日記をはじめます。
今までブログというものに興味が無かったのですが、なんとなく始めて見ようかなと思ったのです。
今日は、自分の趣味について書こうと思います。
私は小学校の5年生からサッカーを始めました。
理由は簡単、女の子にもてそうだというありきたりのマセガキ根性です。
それまでも色々習い事をしていました。
例えば習字、これは登校斑の友達がやっているからと言う理由。小3から始めて小6まで習いました。一応5段という段位をもらいまして、最近まで自慢してたのですがどうやらその塾の中での段位のようで正式なものではないようです。
他にはピアノ。これは妹が一つ下にいるのですが、親バカ親父が妹にピアノを買ってやったんが悔しくて「俺もやる。」と強引にピアノ教室に通ったのですが、両手和音というかなりの高騰テクニックを要求され、志半ばにして挫折しました。
それから、陸上教室。これは1ヶ月皆勤賞だとお菓子をくれるという特典があったため3ヶ月通いマラソンが始まる前に挫折しました。
それからやっとサッカーです。私がサッカーを始めた頃は「マラドーナ」と言うサッカーをしらない女性からしたらセクハラとしか言いようの無い、超スーパースターの全盛期でした。時を同じくして週間少年ジャンプでキャプテン翼が始まるのです。

キャプテン翼 1 (集英社文庫(コミック版))

キャプテン翼 1 (集英社文庫(コミック版))

このキャプテン翼にはかなり苦い思い出があります。
翼くんの18番オーバーヘッドキックですが、これを中1の時にクラブ活動中に練習をしようという仲間内からの提案でした。
私は、そんなに運動神経の良い方では無かったのですが、友達の「出来んの?だせー」の声に反発して挑戦した所、見事に腕の骨を3本も折る重傷を負い入学してから1ヶ月間入院生活を送る羽目になったのです。

まあ、そんなこんなで大学を卒業するまでサッカーを続けていました。
大学中には2回のワールドカップを見るという滅多に無い快挙を経験し、マイアミの奇跡では留年の架かった大事な授業と川口のスーパーセーブのどちらを選ぶかの究極の選択に迷わずサッカーに噛り付いた大馬鹿者です。

ですから、ヨーロッパでワールドカップ期間中は病欠が増えると言った社会事情もよく理解できるのです。

2002年の時は弟の嫁が事故で死にました。今年は妹の旦那あたりが死にそうな予感がします。喪服も新しく新調したのでいつ訃報があっても大丈夫です。

そういうわけですので、皆さんも会社の中で同じ日に葬式が重なるといった事がありませんようにくれぐれも注意しましょう。